イエス・キリストのことばにこんなことばがあります。
「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」(マタイの福音書11章28節)。
人生は重荷が満ちています。私にも重荷があり、あなたにも人に言えないような人生の重荷があるかもしれません。生活の重み、病気の重荷、孤独の重荷など。しかし、一生これを自分だけで背負わなければならないように背中にしょいこんでその重荷に押しつぶされて生きていく必要はないのです。イエスさまの招きは、Come to me,あたかも母親が手を述べて幼子に「いらっしゃい」と言うように招いておられます。人生の思い煩い、傷を受けている人、悩む人、苦しんでいる人は、イエスさまが人生の重荷を負って下さり、疲れを癒して下さいます。また、今、人生に苦悩を感じている、困難な中にいる人ばかりでなく、「私の人生に神はいらない」と拒んで頑なになっている人にも、Come to me,私の所に来なさいと招いておられます。どんなに家族に愛されていても、どんなに何不自由ない生活をしている人にも、神さましか埋められない空洞があるのです。その人へも来なさいと招いておられます。それは永遠のいのちをいただくことです。イエスの愛に包まれた平安が与えられるのです。この平安とはどういうものでしょうか。それはこの世のどんなことからも得られない平安です。仕事や趣味からも、家族や友人からも得られない至福です。しかし、一時的ではありますがあえてこの世のことでたとえて言えば、愛されて眠っている子どもの平安、男性が愛する女性を見つめる時の平安(ただし長続きするとは限りません)さらに、美しい夕日を一人であるいは愛する人と、じっと見つめる平安、永遠のかなたに輝く星を見つめるような平安です。人間はこのような平安な瞬間をだれでも経験しているのですが、それは長続きしません。しかし、いつも信じる者とともにいて下さるイエスは、「イエスさま」と呼びかけるだけ、祈るだけですぐにも平安を与えて下さるのです。